仙台長茄子のゆたかや

2019/10/20 17:43

普段、私たちが何気なく口にしている食物もそのルーツを辿れば、長い歴史と様々の浪漫を秘めていることが多い。茄子ー。この小さな野菜にも日本人の食卓を彩るまでには数々の浪漫があった。みちのく仙台を代表する長茄子のルーツを辿って、食文化“ナス学の旅”に出てみよう。

【1、インドからの贈り物】

茄子の原産地はインド及び熱帯アジアで、インド東部に自生する「ソラヌム・インサヌム」がその原種と考えられている。
栽培の歴史は古く4~5世紀頃といわれ、6世紀頃にはすでに中国へ渡来。「斉民要術」(405~506年)には茄子の栽培から採種まで、事細かに記されているという。日本への渡来は不明だが、東大寺正倉院文書に「天平勝宝2年(750年)6月21日藍園茄子を進上したり」とあり、原産のインドから中国を経て、この頃には渡来したもののようだ。また、延喜式(927年頃)にはすでに茄子の漬物加工も記されており、わが国で最も古くから栽培された野菜であることがうかがえる。

時代は奈良時代。中国との往来が活発な頃、はるか海峡を越えて遣唐使が長く危険な船旅の土産として持ち帰ったのであろう。当時の大和人は、はるかインドで生まれ、中国を経て贈られてきた紫紺の茄子をどういった思いで眺め、食したのであろうか…。しかし、この当時渡来した茄子は丸形であったとされている。長形でやわらかい風味の長茄子はどのように伝わってきたのであろうか。仙台の長茄子が誕生するまでには、まだまだ長い歴史の旅を続けなければならない…。

【2、政宗のもう一つの手土産】

旬を楽しみ、味わうことが少なくなったとはいえ、艶やかな紫紺の茄子が八百屋の軒に並べられれば僅かなりとも季節感を堪能することができるだろう。数々の詩にも登場する茄子は、夏から秋にかけての風物詩である。ところで茄子と一口に言っても形は様々。大きさや色も多種多様である。一般に東北では、丸茄子が大半で長茄子は主に九州にて栽培されているものだ。
元来、茄子は高温多湿の地で栽培されていた野菜で、栽培地の気候風土や食習慣によって独自の品種が形成される。例えば、中国の丸茄子「北京大円」は北陸地方に伝わり巾着型に。また、長茄子は博多、長崎に伝わり博多長、久留長などに姿をかえていった…。それが、どうして遠く離れた仙台で長茄子が栽培されるようになったのだろうか。
仙台にて長茄子が栽培されるようになったのは伊達政宗の朝鮮の役(文禄2年=1593)に出陣した後のこととされている。どうも、出陣の際に立ち寄った博多において藩士の一人が種子を持ちかえったものらしい。まさに仙台長茄子の誕生は歴史のいたずらが生んだ産物であった。博多生まれの長茄子。その後、みちのく仙台でどのような実りの花を咲かせていったのだろう…。

【3、ナスは高嶺の花?】

伊達政宗が朝鮮の役(1593)に出陣したおり、博多から持ちかえったとされている茄子の種子であるが、この当時、茄子は一般庶民は勿論、身分の高い者でさえ、なかなか口にすることができない貴重品であったとされている。
今から300余年前の江戸時代初期には駿河の三保地方において茄子の促成栽培が行われ、驚く事に初茄子1個が一両という高値で買い上げられたという。初夢に縁起の良いものとして「一富士、二鷹、三茄子」という諺が生まれたのも、単に徳川家康の好物及び駿河の名物を詩ったのではなく、高いもの、めでたいものの意を加分に含めたといえるだろう。また、初茄子の値が高額すぎるということで、幕府から布令がでることもしばしばであったと言われ、改めて当時の茄子の貴重度が推察できる。因みに、この初茄子は中長茄子であったようだ。
日本での茄子の地方品種は代表品種が18、類似品種が63種。東北、北陸では丸茄子品種が多く南に行くに従い長い、長茄子品種になる。このことは、中国の茄子品種分布によく符合し、中国本土から直接渡来した仏教文化の道のりと、朝鮮半島を経て伝来したコース、この二つ足取りに起因するものと考えられる。ナスの道のり。それは、歴史とロマンの道でもあった…。

【4、茄子は薬になる?】

豊饒な紫紺の茄子は、遙かインドに生まれ、その長い歴史と文化の中で多様に姿を変えながら、西へ東へと伝えられていった。ある種子はペルシャ人の手によって欧州へ。また、ある種子は開拓精神とともにアメリカ大陸へ。が、そうした伝来の過程は必ずしも食用ではなかった点が興味深い。
インドから西へ伝えられていった茄子は、まず古代ペルシャを経てアラビア半島、北アフリカのナイル流域アンジェリアへと辿り着く。これが5世紀以前。さらに、ヨーロッパへは13世紀から15世紀頃、初めて地中海沿岸において広まったとされている。しかし、欧州ではアジアほど普及せず、当時イギリスでは観賞用として栽培されていた。茄子の花や実は口にするより目で楽しむものだったのだろう。
 イギリスでは観賞用であったが、他の地域では驚くことに薬用として栽培していたようである。古くアラビアにおいては茄子をBadlnjanという名で医師アビセンナが記録に残している他、現在でも熱帯地方では薬用として使用されている。日本の製薬会社においてもナス科の野生種に多く含まれるアルカロイドを神経痛薬として利用する研究が盛んに行われていたという。私たちも実際、茄子のヘタの汁を歯槽膿漏やイボ取りの薬として伝えてきた。茄子は昔も今も私たちの生活に奥深く根づいているのである…。

【5、切っても切れない関係です?!】

原産のインドから中国を経て、奈良時代に渡米した茄子は、その後、日本の風土に土着しながら、食文化及び風習に浸透していった。21世紀の現在でも、茄子に関する諺や慣習は数多く、如何に古くから、密接な関係にあったかを如実に物語っている。
 家族の健康と繁栄を願う風習としては、佐賀地方の「三九日(みくんち)茄子」が有名で、陰暦の9月9日・19日・29日と、9の付く三日間に茄子を食すると病気にかからないというもの。また、三重県上野市西山の春日神社では、茄子の蒸し煮と二股になった茄子を神前に供え五穀豊穣・家内安全を祈願するという。八百年の伝統を誇るこの行事は、毎年10月13日・14日・15日の三日間に渡って行われる。
 この他にも、その地方独特の祭事や行事に頻繁に顔を出す。いま現在でも、盂蘭盆(うらぼん)には欠かせない供物の一つで、江戸時代前期の土木家“川村瑞賢”が盂蘭盆の際に川や海に流す茄子を拾い集め、漬物にして儲けた逸話なども残っている程だ。
 私たち日本人の、暮らし文化の中で珍重され、愛され続けてきた茄子。いつまでも、こうした風習を大切な財産として守り伝えていきたいものである…。

【6、茄子と豊作占い】

茄子は他の野菜に比較して諺等に頻繁に登場する。「秋茄子嫁に食わすな」などは、その最たるもので今も秋になると嫁姑の関係をユーモラスに表現する諺として使われている。また、天候や豊作と結びついた諺が多い点も実に興味深い。「茄子の豊作は稲の豊作」「秋茄子の早枯れは凶作なり」など茄子の育ち具合と稲の作柄との関係を言い表した諺が、今も全国に点在しており、宮城県下でも同様の「茄子の花多くつけば日照り、葉が立てば晴天」の諺があるほど…。
 茄子はインド原産と言うことからも分かるように本来、高温と乾燥を好む野菜である。長雨で日照の少ない年は花の落下が多く、果実の育ちが悪い。このことは、稲においても同様で、雨天続き日照不足の年は不作となる。そのため、昔人は茄子の育ち具合を見て今年の稲作の良否を占ったのであろう。
 現在でも「茄子は夜露うけねば千成る」の諺どおりそれぞれの葉に十分光が当たる様な管理栽培が行われているという。昔人の知恵と、そして茄子との密接な関係には驚くばかりである…。

【7、三百余年の伝統の風味が今も花咲く...】

仙台長茄子の特徴は、本家本元と言われている博多長茄子に比較し、やや小ぶり。しかも、先端がやや尖った細長型である。博多長茄子が、皮が硬く肉も柔らかで、焼きナスに適しているのに対して、仙台長茄子は皮がやわらかい。このため、漬物により適しているナス種と言えるだろう。
 享保4年(1718)の奥羽観跡聞老志には、広瀬川下流の村のものを上質とす、とあり、また寛政の仙台名物番付には「茄子は小泉」と記されている。ちなみに小泉という地は、仙台の東南に位置し、広瀬川の近く、伊達政宗が晩年の10年間を送った、若林城跡のあるところである。
 東北地方は冬が長いため、栽培期間が他の地域に比べ圧倒的に短くなる。仙台長茄子が小ぶりで皮がやわらかく、肉がしまった長茄子に分化したのも、こうした気候風土によるところが大きい。結局、厳しい気候風土の中で栽培期間が短くても収穫可能な極早生に順応するしかなかったのであろう。
 住めば都、という諺があるが、博多生まれの長ナスは300余年の時間の中で仙台の地にしっかりと実りの花を咲かせていったのである。

【8、知ってるつもり?】

茄子にまつわる諺のうち、よく知られているものの中に、「親の意見とナスビの花は、千に一つの無駄もない」がある。ナスは咲いた花すべてが、果実になりムダ花がないことから、親が子供のためを思ってする意見も同様に、無駄や間違いがなく、すべて子どものためになることを意味し、親の意見はよく聞くようにとした教えの一つである。
 しかし、実際はどうだろう。ナスを栽培した方なら御存知だろうが、茄子は以外にムダ花が多い。光度を変えて行った落花の実験結果では光度を制限しない普通の状態でさえ61%の落花がみられ、光度を25%にすると実に91%以上の花が落ちることがわかった。梅雨の頃の日照時間の少ない時、多数の落花が見られるのもこのためである。
 また、茄子の学名はSolanam melongena L.(ソラナムメロンゲーナ)といい、ウリのなるナス属の植物という意味がある。しかし、これもまたウリとナスは植物学的にも縁が遠くウリのつるにナスビを成らせることは不可能に近いとされている。
 無理なことは期待するな、という意味で「ウリのつるにナスビはならぬ」という諺があるが、もし、植物学者リンネが日本のこの諺を初めから知っていたら、このような学名はなかったかもしれない…。

【9、お国自慢の、味と形】

ナスは植物学上では形や色によってマルナス、タマゴナス、センナリナス、ナガナス、ヘビナス、アメリカナス、アオナスの7種類に分類されているが、園芸上では丸、小丸、卵、中長、長、大長、米ナスの7種類に分けられている。
 ナスは元来、高温性で比較的水分の多いところで栽培される果菜であるが、日本では栽培地の気候風土や食習慣によって地方特産の品種が形成されていった。丸形ナスは、北陸地方に土着し、煮食や味噌漬けに適している。寒い東北地方では、栽培期間が短くて収穫できる極早生の小丸形ナスが漬物(カラシ漬)用として栽培され、関東では早生の卵形ナスが一夜漬用として好まれ、関西から中国・四国にかけては中生で煮食に適する長い品種が、また九州では生育期間の長い長形から大長ナスが土着し、皮が硬く肉が軟らかなので焼ナスに適している。長形種は、東北地方にもあるが、早生で皮の軟らかい品種で、漬物用としてつくり出されたものです。この様にバラエティーに富んだ地方種が確認されている。しかし、現在は大量供給に適した品種に栽培が集中し地方種は消滅の道を辿っていると言われているが、長ナス種は幸運なことに、九州・東北の地域で今も郷土の味として親しまれ、お国自慢のひとつとなっている。

【10、茄子の旅は、まだ続く。】

みちのく仙台を代表する味覚ー長茄子のルーツをたどれば遠くインドに始まる。一年を通じて高温多湿の地に生まれ育った茄子は、地球をめぐる旅に出る。しかし、気候厳しい異国の地にも根付く可能性と適応性を兼ね備えていたようである。
 時は奈良時代。茄子は中国を経て大海原を渡り、日本へと渡来する。仙台長茄子のからくりは、それから840余年後、戦国の雄伊達政宗が朝鮮の役へと出陣した折に、ある藩士の一人が博多から持ち帰った長茄子は、郷里のそれとは形や大きさが違う目新しいものであった。ほんの少しのきっかけが当時小丸茄子種が主流だった東北地方で、新品種仙台長茄子が誕生するドラマを生んだのである。
 仙台独特の気候が育んだ長茄子は、栽培期間が短くても、収穫可能な極早生。やや小ぶり、皮がやわらか、肉がしまっているーと三拍子そろったうまさが、まさに漬物に最適だったのである。
 たくさんの諺や名言とともに、私たちの暮らしや食生活と密接につながり、彩りを添えてくれた茄子たち。そしてこれからもずっと美しい実りの花を咲かせてくれることであろう。